「世界遺産の島」へ

長崎・五島列島における世界でも類を見ないキリスト教の歴史

キリスト教が日本に伝えられたのは1549年。聖フランシスコザビエルによって伝えられました。キリシタン大名、大村純忠によりイエズス会に寄進された長崎は日本のキリスト教の中心地となります。その後、豊臣秀吉が「伴天連追放令」を発して長崎を直接支配し、1597年には宣教師やキリシタン26人を処刑しました(26聖人殉教事件)。1614年徳川幕府も禁教令を発し、本格的に弾圧が始まります。日本のキリスト教は根絶したと考えられていましたが、信徒は教会も神父もいない中、潜伏して信仰を守り続けます。1797年に五 島藩の要請により農業開拓のため大村藩から移住が始まります。この時五島に移り住んだ方々約3,000人は仏教徒を装った潜伏キリシタンでした。1853 年黒船来航とともに開国。長崎の居留地に大浦天主堂を献堂。ここで信徒が神父に信仰を告白します。世界宗教史上の奇跡と言われる「信徒発見」です。その後 潜伏キリシタンたちは立ち上がり信仰を宣言しますが、明治元年に「五島崩れ」と言われる日本の歴史で最後の弾圧が起こり殉教者も出ます。1873年によう やく禁教の高札が撤去され、五島にいた潜伏キリシタンは一斉に立ち上がり教会を建立。五島列島だけで現在でも50もの教会が存在します。古くからある教会は苦しみから立ち上り、祈りをささげることができる神聖な「祈りの場」であり信仰を守り続けてきた信徒の強い想いが込められた、まさに「信仰の証」です。

五島の協会群を尋ねて

五島には50もの教会が今も存在します。それらの教会の多くは潜伏して信仰を継承してきた地区などに、外国人神父の指導のもと、日本人大工と信徒が自らの財力と労力を捧げて造ったものです。痩せた土地や山奥に潜伏していたキリシタンの生活があり、交通も不便な山奥や海岸に存在する古い教会を目の当たりにすると厳しい信仰の歴史を振り返らざるを得ません。またこれらの教会を今も地元のカトリック信者さんが守り続けて祈りをささげる神聖な「祈りの場」です。五島列島支援プロジェクトでは先人が厳しい弾圧の中で守り続けたカトリックの歴史を学び、また後世にこのようなことが二度と起きない「平和な世界」を残すために、五島のカトリック教会の保全活動を行ってまいります。

※訪問日は五島列島支援プロジェクト代表者小島が訪問した日付となっております。